「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ12

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ12

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ12

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ12

 今月は二首のかるたをご紹介いたします。

 「怡土城」は奈良時代に福岡市と糸島市の境にある高祖山の山腹西斜面に築かれた中国式の山城です。山の尾根伝いに望楼(物見やぐら)が作られました。高祖山の尾根には計8箇所(一説には5箇所)の望楼跡が残っていて、高祖山山頂から尾根伝いに張り出した「鐘撞山(かねつきやま)」は、その望楼のひとつであったと考えられます。

 この怡土城の築城に深く関わったのは吉備真備(きびのまきび)でした。真備は養老元年(717年)、阿倍仲麻呂や玄昉らと共に唐へ留学し経書と史書の他、天文学・音楽・兵学などを学んで帰国した学者、公卿です。

 朝廷に重用され、天平勝宝4年(752年)に屋久島、更に紀州大地に漂着するするも鑑真を伴って帰朝しました。

 同じ年に太宰少弐(その後太宰大弐=大宰府の次官)となり、天平勝宝8年(756年)怡土城の築城に着手し、12年の年月を掛け、神護景雲2年(768年)に完成。怡土城が中国式山城なのは、遣唐使として長く唐(中国)にいた吉備真備の影響でしょう。

 天平宝字8年(764年)完成を待たずに真備は造東大寺長官に任命され、この地を離れています。

 この築城に遡る天智2年(663年)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で起こった「白村江の戦い」では日本・百済遺民連合は唐・新羅連合軍に敗れました。

 そのため新羅に対する防衛のためにこの地に城を築く必要があったと思われます。「白村江の戦い」の翌年には水城、翌々年には大野城、基肄(きい)城を築城。そして怡土城が築かれました。

 その後、戦国時代に地元の豪族、原田種継が城郭を利用して高祖城を築城したのは、建仁3年(1203年)のことです。その後、天正15年(1587年)、秀吉九州征伐で破壊されるまで原田氏代々の居城となりました。

 今も山中には当時の礎石が残っており、昭和12年(1937年)に国指定史跡になっています。

 参考文献 フリー百科事典「ウィキペディア」他

 (田中)

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