「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 6

今宿タイムズ

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 6

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 6

 

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 6

 へ 平和を願い町中響く寺の鐘 徳正寺「平和の鐘」

 今宿では、徳正寺(横町)、西方寺(横浜南)で、お寺の鐘が定時に撞かれていることは皆さんもよくご存知だと思います。

 今回は、徳正寺の歴史とその鐘について、徳正寺前住職武内英真氏にお話を伺うことができました。

 「徳正寺年代記」資料の中の「古伝に曰く」によると、徳正寺の建立は古く、聖武天皇の頃、清賀上人が建立したとされる七箇寺のひとつ、金剛寺法花寺が兵火にかかり消失。その後、高祖城主原田信種の末子正種が法花寺を金剛山徳正寺と改め、享禄2年(1529年)に創立したとあります。また一方、同記の中の「古書に残る記載に依れば」には、原田家に従随していた奥州浪士今村十良左衛門勝信が谷に住み、法花寺に入寺。その後その子が出家し天台宗より真宗に帰して法花寺を徳正寺と改めた、との説もあり、はっきりはしませんが、いずれも法花寺から徳正寺になったこと、享禄2年の開基は一致しています。

 今年は開基から485年、谷に150年余りありましたが、1559年に消失したのをきっかけに現在の場所に移ってきました。

 さて、かるたの読み札に出てくる寺の鐘についてですが、英真氏のお話によると元々、お寺の鐘桜につされている梵鐘は、平和の鐘と言われ、争いのない平穏な世の中であってほしいとの願いを込めて撞かれるものだそうです。

 徳正寺の鐘は現在、平和の鐘として地域の中に浸透していますが、なぜ、この鐘が平和の鐘と呼ばれるようになったのでしょうか。

 実は現在の徳正寺の鐘は、昭和34年に新しく作られたものです。前の鐘は戦時中の昭和17年9月に国の金属回収令に伴い供出されました。平和を願い撞かれていた鐘が武器の材料になったのです。

 鐘の供出に先立つ昭和15年に召集され、昭和21年に戻ってきた英真氏の父、洞達氏は鐘が供出されたことを知り悲しみました。新たに梵鐘を作ろうにも戦後の大変な時期で思うようにならず、洞達氏が戦地から戻って13年後の昭和34年、門徒さん達の協力を得て悲願の梵鐘が再建されました。

 このときは、牛車に「平和の鐘」と書いた鐘を乗せ、稚児行列と共に今宿の町を練り歩きました。

 私たちが毎日何気なく聞いているお寺の鐘の音ですが、実はその音には平和を願う気持ちが込められていました。これからは、いつもの鐘の音が違って聞こえるかもしれません。(田中)

*今回は金剛山徳正寺、前住職武内英真氏より取材に際し、協力をいただきました。お礼申しあげます。

 

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■今宿タイムズ 平成26年(2014年)11月1日 第386号
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第4回 玄洋公民館 老人いこいの家建設準備委員会
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