「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ5

今宿タイムズ

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ5

 

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ5

「七寺川」「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ5

 昔は川の近くではどこでも見られた蛍ですが、今はその姿はなかなか見られなくなりました。今回はその蛍の群生地だった七寺川についてご紹介します。

 七寺川は俗に鯰側(なまずかわ)とも呼ばれ、地元の方にはその方が親しみやすいかもしれません。七寺川は河口近くの鯰川橋のところでもう1つの川と合流しますが、実は七寺川と合流するこの小さな川が鯰川なのです。しかし、昔から七寺川全体を鯰川と思っている人も多いようです。

 七寺川は高祖山、高地、叶ヶ嶽などいわゆる高祖山系を源流にもつ2級河川で、野外センター付近の2本の川がこの川の源となっています。

 この七寺川の名前の由来は、今宿、上ノ原にある鉢伏山金剛寺が持っていた7つの子院(寺)から名付けられたとされています。

 川の名の由来になった寺の名前については、諸説あります。「筑前国続風土記付録」の中の怡土群上原村の項に記されているのは、帰来寺・寿福寺・東光寺・常楽寺・寶憧寺(ほうとうじ)・金さん寺・長福寺の7つの寺です。この他にも、周船寺にある龍松寺なども名前があがっていますがはっきりしません。

 風土記の中にある寺で現在、今宿に残っているのは常楽寺と金さん寺のふたつだけです。寿福寺は今津、東光寺は姪浜へそれぞれ移転し、長福寺は順光寺と改名しました。残りの寺の消息は不明です。

 現在の七寺川は護岸の改修工事がなされ、きれいに整備されています。これは度重なる川の氾濫に対処するために行われました。この護岸工事を行うにあたっては、今宿地区発展期成会が大きく貢献しました。発展期成会は、筑肥線と地下鉄の相互乗り入れや複線化、今宿バイパス工事などをきっかけに行政や関係機関と地元の交渉窓口として、昭和55年に校区各団体の協議により発足しました。初代会長は当時東松原の町内会長をしていた伊藤義助氏です。「緑と居住との調和のとれた住みたくなる街今宿」をスローガンに車の渋滞解消や河川の改修、下水道工事など様々な問題に対処してきました。

 七寺川、江ノ口川の改修工事も発展期成会の尽力により行われ、現在に至っています。現在の七寺川は日頃はアオサギやカモなど野鳥が訪れる穏やかな川ですが、集中豪雨などの際には排水路として役立っていて、地域の人々の生活に欠かせない河川となっています。

 また、その数を減らした蛍ですが、今でも一部地域では、その美しい光を楽しみことができます。(田中)

*鉢伏山金剛寺については、7月1日号に詳しく記載。
参考文献
「筑前國續風土記」
「筑前国續風土記付録」
「今宿校誌」他

 

 

————————————————————————————

■今宿タイムズ 第385号 平成26年10月1日
福岡マラソン 2014
校区里親普及事業で西区がモデル区に
玄洋校区・各町内で敬老祝賀会開催
「区長と語ろう会」開催
第3回 玄洋公民館 老人いこいの家建設準備委員会
平成26年度 玄洋小学校交通安全標語決定
今宿校区スポーツフェスタ
玄洋校区体育祭
玄洋小学校PTA成人教育講演会
玄洋・今宿校区文化祭
うわごと
今年も大活躍 玄洋中部活動結果
ご挨拶 今宿公民館 主事 中島 令子
「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ5
玄洋中 親子親善球技大会
今宿花火大会 フォトコンテスト 審査発表
第10回 玄洋ふれあいまつり
西区青少年健全育成奨励賞受賞 玄洋校区・原 拓也 氏
今宿子どもリーダー 一泊研修
今宿小子どもまつり
がん征圧全国大会 福岡市で開催
「座禅体験会」今宿校区社会福祉協議会
コーヒーブレイク
今月の男女共同参画 26話
西部図書館 おはなしかい
玄洋句会 水引草 当季雑詠
ご芳志の御礼

★今宿タイムズ過去記事一覧はこちら★