■栞シリーズ 歴史のまち今宿7
櫻井往還道標(おうかんみちしるべ)(前編)
「道標」と「黒田騒動」
玄洋公民館の近く、松原旧道四辻にある、「大明神鳥居 右櫻井道」と刻まれた石柱をご存知の方も多いと思います。この石柱は糸島市志摩にある「櫻井神社」への道標(道案内)として江戸時代にこの地に置かれました。
今回はこの「櫻井往還道標」と世に有名な黒田騒動についてご紹介します。
櫻井神社は1632年(寛永9)、黒田2代藩主、黒田忠之(ただゆき)によって創建されました。
神社にある櫻井神社略記によると「1610年(慶長15)、旧暦6月1日から2日暁にかけ、桜井の里を中心に雷鳴轟く大豪雨の中、岩戸神窟の口が開き、霊験あらたかな神様が出現…」とあります。別の文献によると、雷雨で社の後ろの岩窟が開き、村民浦氏の妻(浦姫)が神がかりし、この岩穴で精進潔斎すると、いよいよ霊感が鋭くなり、吉兆のことがよくわかると有名になった、とあります。
(実はこの場所には6世紀の大型の古墳があり、この岩窟もその一部であった可能性があります。)
「黒田騒動」で、困っていた黒田忠之もこの浦姫に占ってもらい難を逃れたため、御礼にこの岩窟をご神体とする岩戸神社を建立、黒田家守護神として神職を置き、多くの神田、山林を寄進。その後も代々藩主に尊崇され、折にふれ参詣しました。藩主の参詣に伴って、一般の参詣も多くなりました。
この石柱が置かれていた場所は桜井へと通じる道(通称櫻井往還)と唐津街道との分岐点になっています。参詣人が間違えないようにとおそらく黒田藩がここに置いたのでしょう。
また、この石柱は後世の工事の際に少し嵩上げされたものの、道路拡張などの工事にもかからず、江戸時代から現在の場所を動いていません。この「櫻井往還道標」は長いあいだこの辻で行きかう人々を見守り続けています。
次回、後編で「黒田騒動」についてご紹介します。
(田中)
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