■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ30
櫻井往還道標(さくらいおうかんみちしるべ)
黒田藩と桜井神社
今回は櫻井往還道標(道しるべ)についてご紹介いたします。
櫻井往還道標が建っている場所は今宿交差点近く、松原旧道四辻にあるアパートの角です。
ここは唐津街道と桜井神社へと行く道の分岐点となり、江戸時代ここを通行する人々が道を間違えないよう建てられたと考えられます。
高さ70cm程の石柱には『大明神鳥居 右櫻井道』と刻まれています。
この道標は後に道路工事などで少し嵩上げされたものの江戸時代からこの場所を動いていません。
道路際に建てられているため、度々車に当てられる災難に見舞われながらも、破損することなくその姿をとどめています。
江戸時代、糸島にある桜井神社は黒田藩2代藩主黒田忠之によって創建されました。
正月には多くの参拝者で賑わう桜井神社ですが、その創建のいきさつは案外知られていません。
黒田2代藩主の頃、黒田藩では藩の存続にも関わる大きな問題が起こりました。
これが日本3大お家騒動のひとつ、黒田騒動と呼ばれるものです。
黒田家は戦国時代末期に官兵衛が秀吉仕えて軍師として名を馳せ、その後徳川家について関ケ原を闘い、ついに大大名にまで上り詰めました。
その黒田家に起こったお家騒動とは、黒田家筆頭家老栗山大善が幕府に主君黒田忠之に謀反の心ありと訴えた一件でした。
栗山家は官兵衛の時代から仕えてきた古くからの家臣です。
忠之は長政の嫡男でしたが、その資質には長政も頭を痛めていました。
長政存命中は忠之をかばい続けた大膳でしたが、忠之が藩主になってからは、筆頭家老として忠之を諫める大膳を疎ましく思い遠ざけるようになっていました。
幕府の取り調べによっては黒田家の取り潰しも考えられ、その当時の黒田家、そして忠之の心労は相当なものであったと推察できます。
その時に桜井の里に、霊感があり吉兆を占う浦氏の妻、浦姫(與杼(よど)姫)と呼ばれる女性のことを聞いてこの騒動のことを相談しました。
結局、幕府は忠之には謀反なしと判断。
訴えた大膳も盛岡に流されたものの終身150人扶持をもらう寛大な処置となりました。
忠之は浦姫のおかげで難を逃れたと考え、1632年(寛永9)神社を設立。
黒田家の守護神として大事にしました。
代々の藩主が参詣するようになると、一般の参詣も多くなり、道を間違えるものも出たのでしょう。
唐津街道と桜井への道の分かれるこの場所にこの石柱が置かれました。
(田中)
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