「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 26

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 26

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「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 26

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 26

 北筑軌道(ほくちくきどう)と筑肥線

 今回の読み札は皆さんがよく利用するJR筑肥線について詠まれたものです。

 このかるたが作られたのは平成12年。

 今宿~周船寺間が複線化したのが平成11年ですから、開通したばかりの複線化について詠んだのでしょう。

 そもそもこの今宿の地に鉄道が通ったのはいつ頃なのでしょうか。

 調べてみると「北筑軌道」という軽便鉄道が通ったのが明治43年です。

 7月にまず今宿村~前原間が開業。

 順次部分開通し、同じ年に西新(のちの今川橋)~加布里間の全区間(当初計画)が開業しています。

 日本で最初に鉄道が開業されたのが明治5年、新橋~横浜間でした。

 鉄道を作る場合レールとレールの間の間隔は軌周(ゲージ)と呼ばれますが、このゲージの幅が標準より狭いものが軽便鉄道と呼ばれた鉄道です。

 線路の幅が狭いと走る車両は小型で輸送量は少なくなるが、その分建設費も少額となる、という利点があります。

 明治43年に公布された「軽便鉄道法」によって資金の少ない軽便鉄道はブームになりました(北筑軌道の開業も同じ年)。

 その後、博多電気鉄道→九州水力電気→博多電気軌道→北九州鉄道となり、昭和3年に廃止となりました。

 その後北九州鉄道が博多→伊万里間に敷設した路線(昭和10年)で昭和12年に国有化され筑肥線となりました。

 昭和58年3月に福岡市地下鉄空港線と相互直通運転を開始。

 平成11年には読み札にある複線化となります。

 単線ですと駅や信号機などの行き違い施設の間に走行できるのは1列車のみで対抗列車を待ちあう必要がありますが、複線では対抗列車を待つ必要がなく多数の列車を運行できます。

 これにより列車の本数も増え、より便利になりました。

 平成17年には新しく九大学研都市駅もでき、今宿地区の人口も年々増加しています。

 「やれやれと…」と待ち望んだ筑肥線の複線化を喜んだ16年前の詠み人も今の今宿の発展は予想以上のことでしょう。

(田中)

参考文献

「軽便鉄道時代」 岡本憲之 著

ウキペディア

「筑肥線・歴史」より

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★今宿タイムズ 第407号 平成28年(2016年)8月1日

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