■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ15
8月6日、今年も「まつり今宿花火大会」が長垂海浜公園で行われたことは皆さんのご記憶にも新しいと思います。今回は今年で33回目を迎えた今宿の花火大会の歴史について振り返ってみましょう。
今宿の長垂海岸で花火大会が最初に行われたのは、昭和58年の8月です。『住みたくなる町づくり』を推進する今宿校区自治連合会(当時は玄洋校区はありませんでした)、今宿商工業協同組合、今宿社会福祉協議会が共催して、校区の皆さんに夏の一夜を楽しんでいただこうと新たに「今宿納涼大会」を企画、開催したのがその始まりです。
当初は8月16日に盆踊りと花火を計画していましたが、折悪しく台風の余波のため、打ち上げ花火は翌日の17日に持ち越されました。
当時の今宿タイムズを見ると1面トップ記事に「新生今宿第1回納涼大会・歓激裡に終わる」と大きく載せています。
第1回の花火は今のように海に浮かんだ台船から打ち上げたのではなく、海岸から打ち上げられました。
そのため、花火の火花が飛んで筑肥線の線路の枯草が燃えるというハプニングもあったようです。それで、翌年の第2回納涼花火大会からは海上の台船から打ち上げる形になりました。
昭和59年のタイムズにも「火災予防の観点から(略)今年は浜地市議の尽力で海上に鉄船を浮かべて」との記述があり、海の上からの打ち上げで火災の心配はなくなったものの海上保安庁の許可を受けるため担当者が日参した、と実現までの苦労があったことが書かれています。
今宿の納涼大会は、元々今宿小学校運動場で盆踊り大会として行われていました(盆踊りについては1月号のタイムズ「青木の上ノ原の盆踊り」に詳しく載せています)。
しかし、昭和58年には盆踊りと花火大会が一緒になり、昭和62年からは名称も「まつり今宿納涼大会」となり、その規模は今宿の発展と共に大きくなりました。
今宿の花火大会の特長は水中花火大会と尺玉(10号玉)の連発です。これは海上の台船を使う今宿だからできることです。空いっぱいに広がる大きな尺玉の花火は、今宿の夏の風物詩となっています。
今年もかるたの読み札のように、打ち上げられた花火があざやかに夏の夜空を染めました。
(田中)
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■平成27年(2015年)9月1日 今宿タイムズ 第396号
・真夏の夜の彩り「まつり今宿」納涼花火大会
・第65回「社会を明るくする運動」西保護区保護司会第三分区大会
・今宿で「区長と語ろう会」活発な意見交換で盛り上がる
・第8回 今宿田んぼアートフェスタ2015
・今宿校区 スポーツフェスタのお知らせ
・うわごと
・西区子ども会 親善球技大会でトリプルプレー
・今宿校区 夜間パトロール
・暴走族根絶・非行防止推進協議会西区六校区・夏季夜間パトロール
・玄洋校区 各町内で夏祭り
・「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ15
・「福岡市小中学生囲碁大会」
・今宿校区乗合バス「なぎさ号」ちょっといい話
・玄洋校区子ども会 海の日 海岸清掃
・横浜西子ども会育成会「サマーキャンプ2015 in 横西」
・第11回 玄洋小学校 玄洋ふれあいまつり
・第1回 西消防団 訓練競技会
・今宿子どもリーダー 学校に泊まろう
・今宿・玄洋子ども太鼓 メンバー募集
・コーヒーブレイク
・今月の男女共同参画 34話
・今宿五行歌会(自由)
・ご芳志の御礼