■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 3
「鉢伏山金剛寺・七箇寺・観音堂」
今宿野外センターから高祖山への登山道を歩いて登ること約30分。スダジイや杉の木が生い茂る静かな森の中に鉢伏観音堂があります。
元々、ここには鉢伏山金剛寺という大きなお寺がありました。僧坊も多く、各地から修行僧が集まる大規模な修験道場でした。この寺は当時近くに7つの子院(寺)を持ち、これが今の七寺川の名の元になっています(7つの子院についてはまた別の機会にご紹介します)。
鉢伏観音の創建の時期は明らかではありませんが、一説には聖武天皇が神后皇后怡土巡遊の聖跡を偲んで勅願寺として怡土群に七箇寺を建立。鉢伏山金剛寺はその七箇寺のひとつとして建てられたとされています。
その七箇寺とは、貝原益軒「筑前國續風土記」によると雷山千如寺、染井山靈鷲寺、一貴山夷巍寺、小倉山小藏寺、久安寺(山號不詳吉井村)、楠田寺(山號不詳東村)、そしてこの鉢伏山金剛寺です。
また一説には清賀上人が雷山千如寺と共に設立した怡土七箇寺のひとつとも言われています。清賀上人は約1440年前、敏達天皇の時代に中国の最西端(タムリ盆地)からやってきた渡来人で、油山観音、雷山観音、小田観音の3体の千手観音像を彫った人物と伝えられています。
また同じ續風土記の中には、観音堂が立てられた経緯と鉢伏岩についての記述があり、要約すれば「寺の跡は竹林となっている。昔の本尊の観音は朽ちてしまったので、村民がわずかな草庵を立て新しく観音の小像を刻んで安置した。草庵の近くには鉢伏岩といわれる大きな岩がある。俗に弘法大師が鉢を埋めた岩であると伝えられている」という内容です。この鉢伏岩と云われる巨石も今はありません。
観音堂は昭和22年9月に改築、更に平成21年9月に修復工事が行われました。堂内には十一面観音(高さ40センチ)が安置されています。長い間、観音堂とこの老樹の森は上ノ原の人々の手で守られてきました。(田中)
参考文献
「筑前國續風土記」
「筑前國續風土記付録」
「油山へ行こう」
(城南区役所発行)
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