■栞シリーズ 歴史のまち今宿10
「今宿門際 馬つなぎ石」
この今宿の町はいつ頃できたのしょう。
横浜の徳正寺の記録によると、永禄2年(1559)大友方の武将、立花但馬により谷村が焼かれ、そのため、永禄3年(1560)に谷村より今宿への分村が始まりました。
このように永禄年間に原田氏によって村の整備が始まり、更に慶長5年(1600)黒田如水の福岡入府に伴い、道も整備されはじめます。慶長16年(1611)頃には長崎街道が完成。その後、1630年頃唐津街道(北九州・大里~佐賀・唐津)ができました。
今宿は姪浜宿と前原宿の中継ぎの宿として後に作られたため、新しい宿=今宿と名付けられたと考えられます。(今という字には新しいという意味があります)
その今宿の出入り口には「搆口(かまえぐち)」と呼ばれる土塀で築かれた門がありました。そしてその側にある三島家は「門際」という屋号で呼ばれていました。(現在のもんぎわビルの名称はその名残です)
街道は人や物資が行きかう場所であり、当時は馬が人や物の運搬に利用されていました。この馬をつないだ石(馬つなぎ石)が今宿には数カ所残っています。
今宿の馬つなぎ石は、今山の柱状節理(ちゅうじょうせつり)の玄武岩を使用しているのが大きな特徴です。柱状節理とは溶岩が固まって冷えるときにできた規則的な割れ目のことをいいます。柱のように縦真っ直ぐな割れ目を持つ今山の玄武岩は馬をつなぐ石には最適だったでしょう。
当時はどの宿場にも、馬をつなぐ柱があったでしょうが、ほとんどが木で出来ていたと思われます。今宿の馬つなぎ石が今も当時のままでその姿を残しているのは石という朽ちることのない材質で造ったからに他なりません。写真の馬つなぎ石は道路拡張工事で一度撤去されていましたが、持ち主の手で元の場所近くに再建されました。場所は今宿交差点から周船寺側へ100mほどの歩道脇です。
「筑前今宿歴史かるた」にも「門際に宿場の名残馬つなぎ」と詠まれており、側にはかるたの立て札が建てられています。今宿の馬つなぎ石は江戸時代を偲ぶ大切な遺物です。
(田中)
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■平成25年(2013年)9月1日 第372号
・花火で感動!まつり今宿納涼花火大会
・商工まつり抽選会 当選結果
・花火大会清掃のボランティアの心にありがとう!
・彼岸花の郷づくり運動
・田んぼアート2013今年もこの時期がきた~♪♪
・西部六校区連絡協議会にて原子力防災研修
・今宿校区ゴミ減・環境部会施設見学
・うわごと
・玄洋校区子ども会育成会 海岸清掃
・西区子ども会親善球技大会 横浜西チームが出場
・子育て講演会のお知らせ 「絵本から育つ親子とのコミュニケーション作り」 講師:前園敦子さん
・栞シリーズ 歴史のまち今宿10
・今宿少年剣道部 全国道場少年剣道大会 準優勝!少年玉竜旗争奪剣道大会優勝!
・玄洋中空手道大活躍
・今月の男女共同参画
・第38回 なまず会納涼大会
・第25回 まつりよこはま
・玄洋高校・郊外清掃活動
・夏も元気にきんぴらごぼう!
・食と運動の秋~今宿ウォーキング教室
・コーヒーブレイク
・今宿五行歌会(自由)
・ご芳志の御礼