■栞シリーズ 歴史のまち 今宿8
櫻井往還道標(さくらいおうかんみちしるべ)(後編)
「黒田騒動」
日本の3大お家騒動といえば伊達騒動、加賀騒動、福岡の黒田騒動と云われています。黒田家は戦国時代末期に官兵衛(出家後如水)が播磨国で秀吉に仕えてから躍進した家で、官兵衛は秀吉の側近で名軍師として名を馳せた人物です。秀吉没後は家康に乗り換え、関ヶ原の戦いでも活躍。家康から「今後黒田家の子孫を粗略に扱わない」との感状を得るほど徳川家に尽くし、その後、長男の長政が筑前福岡藩52万石の城主となりました。
さて黒田騒動とはいかなるものだったのでしょうか。
それは江戸時代初期、黒田藩筆頭家老栗山大膳(だいぜん)がこともあろうに主君黒田忠之(ただゆき)が謀反を企てていると幕府に訴え出た事件でした。忠之は官兵衛の子、長政の嫡子。しかし、その跡継ぎとしての資質に難あるとして、長政は一時忠之を廃嫡し、弟の長興を世子にしようとしたほどでしたが、それを阻止したのは他ならぬ大膳でした。切腹覚悟で長政に取り成し、忠之の廃嫡を思いとどめさせました。
そもそも栗山家は官兵衛の代から黒田に仕えてきた、最も古くからの家臣。伊丹の有岡城に幽閉され、牢屋暮らしで足の萎えていた官兵衛を落城の際、大膳の父利安が背負って救い出したとい逸話が残っています。
しかし長政亡き後、わがまま放題になった忠之は小姓の倉八十太夫を気に入り、家老にまで取り立て、その一方で度々忠之を諌める大膳を遠ざけるようになりました。このような状態のなかで、1632年(寛永9)大膳は幕府に忠之を謀反ありと訴えでたのです。
しかし、この騒動はあっけなく幕切れを迎えました。幕府の取り調べで忠之には謀反なしと判断され、しかも失政の罪で一旦領地は没収になったものの、先祖の功に免じて新たに同じ領地を拝領。訴えた大膳も盛岡に流されたものの終身150人扶持をもらい、4里4方お構いなしという寛大な措置。倉八十太夫は高野山へ追放されましたが、終生黒田藩から食い扶持をもらったとされ、これだけの騒動にしては、誰も断罪されないという結末を迎えることができたのです。(この1件を忠之は櫻井の浦姫に相談していたと云われる。詳細は前編に詳しい)
栗山大膳については、命を賭け主君を諌めた忠臣と見るか、主君に立てつき藩を危機に陥れた逆臣と見るかは後世の意見の分かれるところです。しかし、江戸時代、大膳の評判は悪く、福岡藩では栗山姓は名乗れませんでした。また、忠之はこの1件以来心を入れ替え、立派な藩主になったと云われています。(田中)
参考文献=怡土志摩地理全誌 志摩編 他
————————————————
■平成25年(2013年)7月1日 第370号記事一覧
・今宿地区発展期成会・平成25年度総会
・就任ごあいさつ 今宿校区自治協議会 会長 西 敏雄
・今宿・玄洋校区 役員交流会
・玄洋校区団体役員交流会
・心輝くまちづくり事業「道徳教育推進モデル校」に玄洋小学校が指定される第1回学校・地域連携会議が開催
・6月号1面「今宿校区自治協議会総代会」の記事で、表現が十分でない箇所がありましたので、下記の通り訂正します。
・うわごと
・今宿地区3校で 運動会・体育会
・栞シリーズ 歴史のまち 今宿8
・はじめまして 西区地域保健福祉課
・赴任ごあいさつ 西日本シティ銀行
・玄洋校区壮年ソフトボール大会・ママさんバレーボール大会
・祭りに行くのはいまでしょう 場所は今じゅくでしょう!
・投稿 育成会のみなさん 感動ありがとう
・おらの田んぼに スカイツリー
・今月の男女共同参画\(^0^)/
・コーヒーブレイク
・今宿五行歌会(自由)
・ご芳志の御礼
●今宿タイムズ過去記事一覧はコチラ●