■もっと今宿知っちゃってん
監修 大内士郎
遊びを通して、今宿の良さを次の世代の人たちとも分かち合いたいと、平成12年(2000年)今宿みんなでよかまちつくろう会の皆様が「筑前今宿歴史かるた」を制作されました。ほんの一部ではありますが「人と自然と歴史のまち今宿」のことを、「今宿歴史カルタ」を通してご紹介させていただきます。
「の」幟(のぼり)立つ熊野神社の初祭り
弥生時代の、玄武岩製の石斧制作書跡として国の史跡に指定されている今山の山頂近くに熊野神社はあります。祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)です。
古い言い伝えでは、天神七代、地神五代を祀ったことから熊野一二社と呼ばれていたとも言われています。
横浜は、かっては徳永村に属し、北原の一部であったことから、現在も、横浜北原の共通の産土神になっています。例祭日は10月12日。
今山は、標高80メートルほどの小さな山ですが、考古学上の貴重な遺跡でもあり、数々の伝説が残っている面白い山です。今山の北川部分は、玄武岩の採掘や宅地造成によって無くなりましたが、残った南側部分は平成5年に国の史跡に指定されました。「筑前国続風土記(ちくぜんこくしょくふどき)附録」によれば、地元住民の話として、その昔、神功皇后が柏木の弓で矢を放ち、夷賊の襲来を防がれたことから、今山の別名を夷魔山(いまやま)、また弓張山とも言うと記しています。山中には、熊野神社、八幡神社、白髪神社、八大竜王、観音堂、薬師堂、太師堂などが点在し、神仏混淆(しんぶつこんこう)時代の名残が感じられます。
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